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京都縦貫自動車道インターチェンジ「綾部安国寺」
尊氏公像 |
室町幕府を開いた足利尊氏は、この上杉荘(安国寺町)で誕生したと伝えられています。ここ綾部は、尊氏公の生母清子の実家上杉氏の発祥の地であり、その氏寺である景徳山安国寺には、産屋の跡やその傍らに産湯の井戸が残されています。また、安国寺境内には、今も母清子と妻登子のお墓と並んで、尊氏公のお墓が祀られています。
尊氏公は、夢窓疎石の勧めで南北朝の争乱に殉じた人々の霊を供養するため、全国六十余州に安国寺利生塔を建立し、その筆頭に丹波安国寺を置き京都十刹の寺格を得て、丹波、越後、日向等全国に荘園を領し、一時は塔頭十六、支院二十八を持ち繁栄しました。現在でも、安国寺は国の重要文化財、府、市指定文化財の仏像や古文書等を数多く所蔵しています。 |

足利尊氏公産湯の井戸

母清子、尊氏、妻登子の墓 |
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足利尊氏公の略年表
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| 1305年 |
上杉荘にて誕生。 |
| 1331年 |
元弘の乱。笠置攻めのため上洛。 |
1333年
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後醍醐天皇の軍を討つため上洛。
六波羅探題を滅ぼし京都を解放。新田義貞とともに鎌倉幕府を滅ぼす。
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| 1335年 |
北条時行を討つため再び鎌倉へ出陣し、これに勝利する。征東将軍に就任。政務を弟・直義に譲り浄光明寺へ。直義の軍が敗れると出陣し箱根で新田義貞を敗り上洛。
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| 1336年 |
九州へ下向。九州を平定ののち上洛。「建部式目」17条をつくる。 |
| 1338年 |
征夷大将軍に就任。直義との二頭政治を行う。 |
| 1349年 |
執事・高師直と直義が対立する。
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| 1350年 |
直義の養子・直冬が直義側についたため、師直らとともに京都を発つ。南朝と講和した直義と対立する。 |
| 1351年 |
直義を討つため南朝と和睦。 |
| 1352年 |
南朝が京都を占領する。子・足利義詮が京都を奪還。 |
| 1353年 |
南朝が再び京都を占領。 |
| 1355年 |
足利義詮とともに再び京都を奪還。 |
| 1358年 |
死去。享年54歳。 |
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| 安国寺は正暦四年(993)頃恵心僧都62才の御作の子安地蔵菩薩を安置して光福寺としたのが創まりで、上杉重房の外護を受け上杉家の氏寺として発展の途に登り、上杉頼重の息女清子が足利貞氏と結ばれ当山の地蔵菩薩に祈願すること7日、行満る暁、星を呑むとの夢をみて懐妊し、嘉元三年(1305)上杉氏所領内の光福寺々内塔頭の常光寺に於いて尊氏公を安産し、その後は足利家からの帰依も受けるようになり南北朝のはじめ足利尊氏が弟直義とともに夢窓国師の勧めに従い、国土安穏泰祈願並びに元弘以来の戦死者供養のため、暦応二年(1339)全国二島六十六ヶ国に安国寺を建立するにあたり、暦応四年三月(1341)円派の仏師豪円作の釈迦三尊坐像を本尊として丹波の安国寺を創立する。 |
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本尊釈迦三尊坐像
(国の重要文化財) |
| 本寺正面の仏殿(本堂)に安置している仏様で、宝髻をゆいあげて宝冠を載かれ衲衣をおつけになり、御胸には瓔珞のお飾りがあり、み手は禅定の印をお結びになって居られ、御修行に依りお悟をお開きの後、如何にして衆生を済度せんとの、釈迦坐像暦応4年3月円派の仏師豪円作、脇立文珠菩薩、普賢菩薩と共に地方希にみる大作であり、極めて珍しいお姿と言われて居ります。 |
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木像地蔵菩薩半跏像
(重要文化財) |
| 平安時代初期作の作で、刀法すこぶる雄勁、恵芯僧都61才の時の作と伝えられ、尊氏公の母君が祈願して嘉元3年(1305)足利尊氏を安産したという、それ以降子安延命地蔵尊として遠近善男善女の信仰は甚だ厚く、一千年来毎年4月29日には大法要を行う事に成っています。 |
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開山頂相三幅
(京都府指定文化財) |
| 当時開山天庵妙受禅師の肖像画で三幅共、室町初期弟子が画し開山禅師が賛をされて居る(綾部市文化財図録に精しく解説がでて居る。) |
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〒623-0104
京都府綾部市安国寺町寺ノ段1 TEL0773-44-1565
丹波景徳山 安国寺
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