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光明寺二王門

Komyoji-Niomon

 

 

光明寺は綾部市睦寄町の君尾山という山の中にあります。聖徳太子により599年に開創されたという伝説が残る古刹です。醍醐天皇の900年頃、空海の弟子の理源大師が真言道場をこの地に開いて以後、光明寺は真言宗醍醐派の寺院として多くの人々の信仰を受けてきました。平安末期から鎌倉時代にかけて最盛期をむかえ、その頃の僧坊の数は72にも上ったといいます。光明寺二王門は寺が隆盛を極めたこの時代、1248年に建立されました。
しかし、戦国時代に入ると光明寺は度重なる戦国の動乱に巻き込まれます。1527年には領地争いに端を発する兵火で本堂をはじめとする領内の伽藍すべてが焼失。その後再建されるも1574年に明智光秀が光明寺に攻め入った際、再度本堂を焼き払ってしまいます。こうした争乱の中にありながら、二王門は幸運にもその戦火を免れました。変わらぬ場所に悠然とたたずむ二王門は、700年以上におよぶ遥かなる歴史を今日に伝えています。

光明寺
光明寺本堂(京都府指定文化財)天保7年(1876)再建


精巧に彫られた本堂の彫り物

前回の修復工事

 

昭和25年修復前の二王門

前回の修復は今から60年ほど前、昭和25年から27年にかけて行われました。
この時、修復作業が行われる前の二王門は、門全体が歪み、添え木で支えられてかろうじて立っているというまさに倒壊寸前の状態でした。そこで前回の修復では、門全体を一度解体し、再び組み直すという解体修理の手法が取られます。解体の際には、二王像もいったん外に運び出されましたが、大勢の人が担いで雪道を進む様子が作業の大変さを伝えています。
前回の解体修理が始まった昭和25年当時、二王門の正確な建築年代はこの時まだ判明していませんでした。
しかし、解体修理が行われる中で上層の柱に墨書が残っていることが発見されます。
「寶治二年 戊申」と記されたその墨書は二王門が鎌倉時代中期に建てられたことを示すものでした。鎌倉時代に一階部分と二階部分それぞれに屋根を持つ二重門が建てられることは極めてまれで、その希少な門がこのような山深い寺に残っていることは、当時大きな驚きを呼びました。
この建築年代の判明により、光明寺二王門はその希少さが認められ、修理が完了した後の昭和29年3月20日に国宝に指定されることになります。


雪道を進む二王像

「寶治二年 戊申」と記された墨書


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