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波多野 鶴吉

国には国是、郡には郡是 波多野 鶴吉

波多野鶴吉

波多野鶴吉は、安政5年(1858)羽室嘉右衛門の二男として誕生し、慶応2年(1866)波多野家の養子となった後、志を求め京都へ遊学。数学者を目指す傍ら、自由民権運動を展開した岩滝町出身の小室信夫らとともに、政治活動にも参画した。しかしいずれも夢破れ、明治14年(1881)綾部に失意の帰還をする。

当時、郡内には器械製糸工場が72あったが、いずれも零細な経営であった。
また、その品質は「粗の魁たらん」とまで評された粗悪品だった。鶴吉は、明治29年に「郡是製絲株式会社」を設立し、製糸業の集約化を図り、生産力と品質の向上を目指した。

「グンゼ」。たった3文字の中に濁点が2つを占める社名に人々は最初、違和感を禁じえなかったという。農商務省元役人・前田正名が説く「一国に一国の方針、いわゆる国是としての富国強兵論」を耳にし、これに感化された彼は、山間の農村に芽生えた企業の名として「郡是」を選んだ。

鶴吉には一貫した理念があった。それは「善い人が良い糸をつくる」というもの。何となく善い、何となく悪いというのは、その糸をつくる人の心の持ち方と関係する、ここが教育の大切なところであり修養の大切なところでもあるとした。
そこで創業の翌年に「夜学会」を開き従業員に対し算術や読書、裁縫などが教えられ、社員教育に力をいれる。いつしか郡是製糸株式会社は人々から「表から見ると工場、裏から見ると学校」といわれるほどになる。
明治時代、製糸業は「生死業」とまで言われ、数多くの女工哀史が語られたが、鶴吉は「工女は養蚕農家から預かっている大切な娘であり、株主から預かった大切な娘である。預かった以上は一同を立派に育てあげなければならぬ」と語り、自分の家族のように接した。

また鶴吉は共存共栄を目標に掲げ、「売って喜び買って喜ぶ」の精神のもと、繭や生糸の取引方法を信用取引に変更。養蚕農家や取引先との友好な関係を築き上げていく。

綾部駅から南へ伸びた商店街を抜け、市内が一望できる「南ヶ丘公園」には鶴吉の像がある。その視界には、市街地と「グンゼ」の社屋が納まる。

鶴吉は今日も綾部とグンゼの発展を見守り続けている。

 

<波多野鶴吉の足跡>

 

1858 6代目羽室嘉右衛門の二男として出生
1866 波多野家の養子となる
1875 京都に遊学
1876 波多野葉那と結婚
1881 京都から帰郷し、生家・羽室家に寄宿
1882 小学校の教員となる
1886 何鹿郡製糸業組合長に就任
1890 キリスト教の洗礼を受ける
1896 郡是製絲株式会社設立
1901 同社社長に就任
1917 郡是製絲株式会社を大正皇后が行啓
1918 脳溢血で他界(享年60歳)

 

<ゆかりの地めぐり>

あやべグンゼスクエア
あやべ特産館、グンゼ博物館、綾部バラ園、道光庵の4施設からなる綾部市の観光交流拠点。平成26年オープン。

■綾部高校東分校・熊野新宮神社・市民センター

東分校付近には、高等養蚕伝習所(後に城丹蚕業講習所)、蚕糸業組合の事務所、京都府の養蚕検定所・試験場があった。市民センター付近には波多野記念館もあり、熊野新宮神社界隈から現府地方振興局あたりは、養蚕業の主要な施設が集中していたようだ
■丹陽教会

波多野鶴吉夫妻が信仰を深め、グンゼ精神を生んだ綾部最古のキリスト教会
■上野町

国内3カ所のうちのひとつとされる元国立養蚕試験場。大正6年には大正皇后の行啓が行われた
■月見町

大正2年開町。綾部の祇園として発展期の綾部の産業を支えた
■南ヶ丘

波多野鶴吉の銅像があるグンゼ記念公園。桜の名所

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