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和合の武道 合気道開祖 植芝 盛平

植芝盛平

人間の生きる道、あるべき姿を追い続けた一人の青年がいた。中学校を1年で中退、税務署に就職するが長続きせず、あげく東京出て商売に手を染めるものの、体調を崩し、結局、故郷和歌山県田辺市に体一つで舞い戻る。植芝盛平19歳。「人生は山あり谷あり」というが、彼の半生はまさに流転と苦難の連続だった。


明治16年植芝与六の長男として誕生。幼年期は自宅にこもりがちの静かな少年だった。しかし、小学校に上がると父の影響で次第に武術に興味を示し始める。


正義感と探求心が旺盛だった彼は、明治45年、一念発起し北海道開拓民として、紋別郡白滝原野に単身向かう。そこで盛平は、武道の鍛錬にいそしむ一方、役所との調整を始め、ハッカ栽培や酪農といった地場産業育成など白滝村の発展にも尽力。「白滝王」と呼ばれるまでになった。


大正8年、父危篤の報を受け、田辺市への帰路で平癒祈願に立ち寄ったのが、綾部だった。そこで、出口王仁三郎と出会い、人間の生きる道について説法を受ける。それにより、半生に亘り彼の心でわだかまり続けた答えをついに見つけ出す。盛平このとき36歳。


その後、彼は一家で綾部に移り住み、8年の歳月を過ごした。「植芝塾」を開き、武術の鍛錬と仕事(農業)は一心同体という「武農一如」のスタイルを確立する。そして、気・心・体の一致による合気武道の原型を創り上げる。


現在合気道は、世界85ヵ国に150万人もの愛好者を擁する一大武道に発展した。


「合気とは、敵と戦い敵を破る術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である」との盛平の精神が人々を惹きつけるのであろう。

植芝盛平の足跡--------------------------------------------------------
1883 植芝与六の長男として出生
1896 和歌山県第二尋常中学校中退
1896 田辺税務署に就職
1901 実業家を志し上京
1902 植芝商会を設立するも体調を崩し帰郷。はつと結婚
1903 大阪第四師団に入隊。銃剣術で脚光を浴びる
1912 北海道開拓民に応募し、白滝村に入る
1920 綾部に移住。修行道場「植芝塾」を開く
1924 出口王仁三郎と入蒙し辛酸をなめる
1925 合気の道を主唱
1927 再び上京し、道場を開設
1931 皇武館を建設
1940 茨城県岩間町に転居
1969 4月没(享年86歳)

ゆかりの地めぐり

■駅前広場
合気道発祥の顕彰碑が建つ
■本町通り
薬膳喫茶「悠々」、遠坂薬局、森田畳店、金龍餅など当時から営業している建物が残る
大本本部 長生殿
能舞台近く(植芝塾跡)
大本本部 本宮山(禁足地) 若宮神社(上野町)
植芝盛平が修行したとされる
■田野町 天王平
植芝家の墓がある

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